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​魔法瓶

しきしま やまと心 誰かもここに

いまは春べと 咲くや うるはし

さっき 石舞台の入り口で頭を低くした時から

手探りで進んできたが どうも時空が歪んでいる

どこか奥の方から水の滴る音が

高くひくくグラスハープのように聞こえているが

回りはすべて石に囲まれて 少しかび臭い

途切れとぎれにかるた読みのような声がしているが

なぜか聞き覚えがある気がしてならない

春すぎて 夏来るらし 白妙の

さきはふ国ぞ ま幸くありこそ

闇にようやく目が馴染んで来たころ

はるか前方に川霧が立ち込め

ぼんやりと青い影が見えてくる

何かが動いている 

目を凝らして見ると

何かが天に昇るべくのたうち回っている

驚いて振り向くなり入口を確認すると

あろうことか都大路を白虎が歩いてくる

その瞬間 とっさに声の主を思い出す

あれは耳成の声 ぼくは香久

やまとは 国のまほろば たたなづく あをがき

おそるおそる右に目を向けると

目を覚ましたばかりの玄武が

頭を持ち上げてこちらをうかがっている

うしろを振り返ると 

目も綾な朱雀がいま舞い上がったところだ

ほら ここでは思い出したものがその瞬間立ち現れる

ひさかたの光のなかに朱雀が

あらなくに都大路に白虎が

だが 何が現れようと恐れないことだ

たとえぐうぜんに見えようと

ここで見えるものは 

すべてきみの心の中の出来事だと声が言う

春霞 たなびく山の さくら花

咲くと見しまに かつ散りにけり

よみ人知らずも 今にも見上げる天高く

きみが 長い鼻を振るとみるみる桜の花びらが舞い始める

ここだも鳥たちが騒ぎ始めるのは

久々に杜の主が戻ったからか

あをによし にほふがごとく うちなびく

ちはやふる かぎろひの 春の野に

陽が上がったからか 

何故かどんどん周囲が熱くなってくると

さもあろうと 真空と鏡面のせいさときみがいう

ここは謂わば魔法瓶の中なのだと

ふと 早く畝傍を捜さないとと思う

きみはどこに隠れたのだ

てっきり 桜の大樹のうしろか 

こでまりの繁みの影だとばかり思っていたが

まさか石舞台のなかの

こんなに陽の燦々と降り注ぐさなかに身を隠せるとは

あしひきの 山桜花 一目だに

散らずともあらなむ やまとしうるはし

見ることだと 声が言う

まだ見ぬものを確信をもって見ることだと

ここで石の壁に描かれたものらが

明日香のころの人々にありありと見えていたように

いずれ ありし日の記憶がつぎつぎと蘇えるだろう

それを書きとめ それを残すのがぼくの務めだと

                   imuruta

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