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​つくつく法師

梨むこうか 梨 

梨食べたくないなら

苹果むこうか 苹果 

苹果ならまだ青いが

梨ならもう熟れて 

じっくん じゅっくん

まだ暑さののこる夏 

きみも影絵 ぼくも影絵

縁側できみの剝いてくれた梨を頬張る

そんなにいちどに頬張って

きみの顔が どんぐり詰め込み過ぎた

栗鼠に化ける

人参齧り過ぎた 兎に化ける

おいしいねと きみ

美味しいねと ぼく

腋のした匂えば 

汗もかぐわし 

いずれ そこもまた

このあいだ もう栗出てたね

親指でしるし付けて

栗剝くの ぼく上手だし

こんど栗 蒸してね

なかんずく 笑顔耐えなん 

時も止まれり

晩夏のえだ高く 

つくつく法師鳴き

じっくんよーし じゅっくんよーし

梨 食べ終わったら

つぎは行水だ

でも このジョーゼット

ちょっと透けすぎじゃない ときみ

きみの素肌に水玉が飛び散る

そうかな ちょうどいいくらいじゃない とぼく

これ以上 書きすぎなければの話だが

いずれ かすみ幕の向こうは

つくつく法師の鳴きやむまでの

しゃぼん玉の世界

じっくんよーし じゅっくんよーし じぅー

          imuruta

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これはぼくの第五詩集<イザーイ>です

 

​詩とは何か 詩とは、敢えて言えば思考の不可能性に対する 果敢な挑戦である 詩は、その第一行目からとある文脈を提示する そして、二行目以降はその展開でありながら、つねにすでに間断なく

思考に挑戦しつづける 状況把握が必要なのか あえて書かなかったことを推理する力が必要なのか、それとも、ただ直観を信じてひたすら読み進む力が必要なのかは、あなた次第だ 何にしても、ここにひとつの求心力を提示したかった 詩は、つねに日常言語を模倣するが、かならずや もって非なる世界を提示する

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