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​智慧

​母が何ものかに連れ去られたと 火急のてがみが来た

とっさに思い浮かんだのは なぜか母のうしろ姿だった

それもはだかで 文字通りペタンとすわり込んだ姿だった

でもなぜ母が という問いにこたえは見つからなかった

弟ともども親不孝をしていたので  

いずれは きちんとしたかたちで報告に帰りたいとは思っていたが

ながい乾季が終わり 

ようやく芽吹き始めたばかりのバオバブの木の下に

脱ぎ揃えた靴があったので分かったと 

そのてがみには書いてあったが

そんな さらわれる時にも靴を揃えられるところが 

如何にも母らしかったけれど

もし 身ぐるみ剥がれているのかと思うと

背筋を冷たいものが走り抜けた

   *

クリココクリコ クリココクリコとその道をたどると

これもいっしゅの籠目なのか 波は

不等辺三角形に見えて 菱型に

風を孕んだ帆にみえてペンタゴンに

一瞬いっしゅん その編み目を変える

ながくみつめていると この時はもどらぬのに

まるで図ったかのようなフォーメイションで

三角から菱に 帆から互角にと

みなもは 繰り返しくりかえし

まるで 目くらましのような夢を織っている

誰かうしろの正面にいる気配がするが 誰かは分からない

息苦しくなって 水面に顔をだすと

頭や 突き出た耳に水藻や枯葉がついている

夢とは かように辿らぬもので

時空をこえて 思いも寄らぬところにとつぜん顔をだす

出たとこ勝負であたりを見回すと 

これはどうやら沼の真ん中に出てしまったようだ

あぶなく溺れるところだった

お負けに 岸のまわりをぐるぐるとメリーゴーランドのように象が回り

にぎやかな悲しみをよそおって サラバンドまで鳴っている

   *

母はとにかく ものに動じないひとだった

工期が遅れて 嵐がくるまえに方舟が完成出来ないと

父さんがあせっていたときも

安心なさい 神が約束をたがえることなんてあるものかね

努力すれば かならず報いてくださるわと

おおきなおしりを でんとすえると

こころゆくまで 得意のおにぎりを何個もなんこも握っていたそうだ

また四十日四十夜 海が荒れてノアがもう耐えられないと言い出しても

母が舟の底に じまんのおしりをすえると

舟もずいぶん安定し なんとか難局をのりこえられたと父が言っていた

そしてこころぼそい夜があると

バリオスの 「森に夢見る」をしずかに歌ってくれたという

母は なぜかきっと大丈夫だという確信があった

たとえ 身ぐるみ剥がされていようと

   *

かしらが吐かせた夢にのってここに来たが

象たちはまだ夢のようにまわり

これでは悪い夢酔いになりそうだ

お負けに 象たちの背中には

今どきのむすめたちが はやりの短いスカート姿でのり

これまた それぞれの夢に酔っている

ほうほうのていで 岸まで泳ぎついて息を整えていると

沼の真ん中から ぬっと顔が出た

いっしゅん ギョッとなって 遅れて

遅れてきたなかまが来たのかと思ったが

みると 顔が違う

よこにながいくちびる びっくりして困ったような目

しかし なにかこちらをたばかっているようにもみえる

そして するすると泳ぎだすと苦もなくこちらの岸に着いた

みると おんなだった

とうぜんのことのように はだかだった

   *

けれど どう考えても母を助け出せる方法は思い浮かばなかった

そうこうしているうちに 二通目のてがみが長老から届いた

キリマンジャロが刷られた切手をみるとなつかしさで思わず涙がこぼれたが

なみだをぬぐう間もなく封をあけると

今回 闇であれこれしているのは中央にいるものたちで

おそらく 母をさらって行ったのは間違いないと書かれてあった

その棲家は セントラルアジアのアララットの近くにあるといって

その近辺の手書きの地図が添えられていた

   *

あら どこから来たのかしら

この辺ではあまり見かけない顔ね と言うと

二三度首を振って 髪の水を払い

知らぬ振りをしているが みょうに馴れ馴れしい

みるとその肌 蛙の腹かと思うほど白くすべらかで

いかにも 幾つもいくつも水玉がこぼれおちる

ときに あたりを探るように

みぎにひだりに目線を走らせるが

こちらの動揺が収まるのまで時間を稼いでいるようにもみえる

足のうらに着いてきた藻屑をていねいに取っているが

膝をもちあげるたびに ごくしぜんにおんな特有のそこを見せる

おりしも 山ふところから一陣の風がおりて

はるか高みの梢をゆらすと

頭上でさわさわっと葉の鳴る音がして

急にパラパラっと どんぐりが落ちてきた

すると おんなは待っていたとばかりに

痛っ いたっとこちらに抱きついてくるが

その肌の ひっつくと離れぬさまは河童だ

おおきな胸の谷間に顔をはさまれてしまうと

息をするのがやっとで 気がつくと粘着質の肌にからめとられていた

   *

店の奥には 丸いちいさい鼻眼鏡を掛けた店主が座っていて

ちらちらと こちらの方をみていたけれど

年のせいか ちょっと何をするにもめんどくさそうなようすだった

何かさがしものかいと声をかけてくれたが

ちろちろと動く目線は 話よりもじつは

スカートからでている足のほうに興味がありそうだったが

思い切って手書きの地図をみせて

このバッテンのついたところに行きたいというと

しげしげとそれをみていたが いきなり

お嬢さん ここはやめておいた方がいいと言った

ここは おんな子どもの行くところじゃない

でも もしどうしてもって言うんだったら地図はあることはあると言って

店の奥からほこりを払いながら 

古い羊皮紙に書かれたいちまいの地図を取り出してきた

お嬢さんには読めないだろうがここに 方舟探索地図と書いてある

この山の位置 この湖の位置 この高原のありようはまさに

ここに手書きしてあるのと一致する

どうする ちょっと高いが世界中探しても二枚とないものだ

お負けしとくから 買っといて損はないよって言われては

引き下がる分けには行かなかった

   *

それは 溢れんばかりに愛の積まれた舟の底で

もうどこにも行かせないわ もうあなたしか愛するひとはいないのよと

耳もとで囁かれながら 文字通り愛に溺れてゆくおとこに似ていたし

それはまた 手も足も縛られて ここより他をさがそうなどと企てたら

ここがここでなくなる もしここをなくす方法を考えられたら

それは天と地をひっくりかえせるちからを持つことになるのよ

ここはここ ここにしかほんとうの愛はないのよと

どうどう巡りに似たおんなの論理に沈んでゆくおとこにも似ていた

だがそれはあいてが大きすぎて どこか鼻でもて遊ばれているような

まちがって鼻に入り込み その粘膜にくっつてしまったような

そんな とりとめもない様相も呈していた

しかし おそらくは いま絞りとられた精が子宮のなかで

刻々と分析器にかけられ そのDNAの構造まで

くまなく 調べ挙げられているふうにも思えた

ああ おんなとは 愛を語るとは 誰にも分け隔てなく与えられる天賦の才とは

いずれにしても 時間稼ぎにしては手が込みすぎている

   *

地図は手に入れたが けれどどう考えても

母を取り返す方法は これしかなかった

それは 生のままのじぶんを差し出すことだった

わたしはわたしでしかなかったけれど

母は あの全能さは あの全和音の有りようは

もっと大きな使命のために この星に来ているとしか考えられない

中央が望むなら たとえこの身が引き裂かれようと

身を挺してでも 母をこちらに返そうとおもった

ましてや 中央がつぎにわたしを欲しがって動き出していることは

ここ数日の身辺を見れば もう分かっていたことだ

   *

あなたたちのその程度のちからじゃ 

とてもわたしを担ぎあげて 拉致することなんかできないわ

だから と言って脱いだばかりの靴を 鼻でていねい揃えると

さあ いらっしゃい

わたしが中央にもどるはや道を教えてあげるわと

智慧が 先頭に立って歩き出した

夢の抜け道って 早そうで

じつは回りみちなのよって言う声が 闇のむこうでしていた

                imuruta

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