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​ワツシ

ねえ なんてこと ハナ

わたし わたし 信じられない

ねえ どうしたの この子

まさか まさか あなたの赤ちゃん

もう 初めから 泣いていた

えぇえ えぇえ こんなことってあるの

全身 総毛立っていた

ねぇ なんてことしたの

もう 金輪際 神なんて信じないわ

そう言うのがやっとだった

ふりかえったとき なみだが鼻だけよけて

唇まで おし寄せていた

えぇ えぇ あなたってひとは

なぜ 黙ってたのよ

なぜ わたしに言ってくれなかったのよ

苦しかったでしょうに

おお神よ と言って天を仰いだが

あとはもう ことばが続かなかった

   *

うたたねに 恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき

月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつは 元の身にして

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける

願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃

どこか お伽話のような 歌のせかい

いつ読んでも どう読んでも 興趣尽きないが その先は

歌とは 歌のこころとは 歌をよむとは

こころは ここにあって 思うさま いずくにも往き いずくにも帰るが

歌とは 歌の道とは いかに このいのちの酔い果てるまで

そのありさまを見届ける 最後のみおつくしか

歌とは まさにこころの酔うさま 凍てるさま

歌とは こころの果てるさま こころをここに埋むさま

歌とは うたの最後を見届けるさま

歌とは この後ない 今生のさま

もう 二度ない このここのさま

   *

どこにいたのよ アフリカに

どうしていたのよ 母さんといた

どうして呼ばなかったのよ あなたを悲しませたくなかったから

どうしてこんなことになったのよ それはわたしにも分からない

どうして神はこんな無慈悲な 無慈悲な子は世界中どこにもいるわ

どうしてあんなやつの子を 宿ったものは誰にも否定出来ないのよ

どうして予期出来なかったのよ 母さんはことの初めからすべて知っていたわ

どうして自ら進んでまでことを進めたの

どうしてここにいるの どうしてここに帰ってきたの

どうして どうして どうして世界はこんななの

どうして 神は出て来ないの どうして祈りは聞き届けられないの

どうして こんなに誰もかも 違うひとばかりなの

どうして わたしだけこうも分からないの

ハル あなたも もう おとなにならなきゃ

だれも みんな こどもじゃなきゃ 天国に入れないって思ってるけど

そんなことはないのよ そんな掌のあざなんか消してしまいなさい

誰もかも違うんじゃなくて 誰もかもみんな私なのよ

どうしても どうしても 言っておきたいことがあるの

誰も信じちゃだめ じぶんのこころだけを信じるのよ

どうか わたしも信じないで欲しいの

ここにいる子も

ここから 派生していく作り話も

誰かに 救いを求めちゃだめ

いま ここにいることだけが唯一の真実なのよ

そして 矛盾してるように思うかもしれないけど

わたしが言っている言葉があなたの耳のなかにとどく一瞬いっしゅん

刻々と真実はそのすがたを変え続けるのよ

   *

つきてみよ ひふみよいむなや ここのとを とおとおさめて またはじまるを

この里に 手まりつきつつ こどもらと あそぶ春日は 暮れずともよし

いにしへを 思へば夢か うつつかも 夜はしぐれの 雨を聴きつつ

あしひきの 山立ち隠す 白雲は うき世を隔つ 関にこそあれ

歌読みのうたではない 書家の書ではない

良寛和尚の 筆先を観じながら 空字 空時に思いを馳せる

その時 真後ろから

まあまあ お日和もよいのに またお勉強ですかと声が掛かる

おぉおぉ 里のお千恵さんか ようようお越しなさった

座部もないが まあここにお掛けと縁に出ると

腰の包みから のぞく里いものにぎやかなこと

たんと採れもしたので 和尚さんにお裾分けでもと言いつつ

でんとおろした腰の いまだゆたかの事よ

もういつお呼びが掛かってもおかしう無い身にも

この喜捨のなんという ありがたさ

ようよう 白湯の支度して座にもどると

ふところから いましも出てくる茶葉の馥郁たること

じつは今日 お願いがあって上がったのは

孫むすめの七回忌をしてやりたいので 

つぎの月はじめに 経を上げてやって下さらぬかと

まあまあそんな 額を上げて

とんと忘れもせぬが もう七年にもなるのかのう

はいはい 里につばめのいなくなるころ逝ったので

ひとりかってに 燕忌にしとります

和尚さんも 右あしの筋を損じよって

里に下りるのも 難儀なことでも

しもじもの義理 たててやって下されと申すに

すでに 目がしらにあついものが涌いている

   *

ヤンヤン あかんぼうのちから ヤンヤン

ヤンヤン 産道を抜けてくる赤ん坊のちから ヤンヤン

ヤンヤン お願いはやく出て 早くはやく

もういっこくも耐えられない 母になる苦しみ

いったい いつ いつこんな約束をした

わたしが あなたの母になるなどと

あがいて あがいて まくらを引きちぎりながら

ひたすら ひたすら奇しき出会いを待つ

ああひとは 何億という細胞でできているが

ひとつこの細胞だけが 減数にげんすうを重ね

ただひとり減数に耐え やがて生成の神秘に預かる

いったい羊水のなかでは どんな必然が起こっている

それは海が育んだいのちの どんな必修課程を復習する

ああ そして今日どんな卒業証書もってここに現れる

ヤンヤン あかんぼうのちから ヤンヤン

ヤンヤン うまれいずるくるしみ ヤンヤン

ヤンヤン ここに待つよろこび

おお どんな苦しみにも耐えて 今に出てくるあなたのちから

ヤンヤン ここ ここで身をくねらすあなたのちから

だが わたしがそこにみたものは なんと

苦しみくるしみ抜いたすえの 

なにものにも譬えられない 至福のいっしゅんだった

そして あろうことか 

あかんぼうを腕に抱くまえに 歓喜のあまり気絶していた

   *

世の中は 何にたとへむ ぬばたまの 墨絵に描ける 小野のしらゆき

をちつつにも 夢にも人の待たなくに 訪ひ来るものは 老いにぞありける

和泉なる 信太が森の 葛の葉の 岩の間に 朽ち果てぬべし

飯乞ふと 里にも出でず なりにけり 昨日も今日も 雪の降れれば

あの日から 急に臍のなかがからっぽになってしまつた

時をおかず 臍から解雇通知がきた

たぶんもうこの足では 何も出来まいと判断されたに違いない

それからおれは 足がなんとか回復するのを待って

もう寒山寺には戻らず 足を引きずりながらも旅に出た

そして着いたところがここだった

ここの 暖かいこと 子らのいとしいこと 

毬撞くさまの けなげなこと 

墨なくば 空に字を書き

紙なくば 空にうた詠み

ここに 居を定めた

ひふみよいむなや こともちろらね

しきるゆゐつわぬ そをたはくめか

うおえにさりへて のますあせゑほれけ

この国のことばを覚えるのにさほど時間は掛からなかった

子どもらの 無邪気のあそびのなかにもそれはあったし

われらの使ってきた文字も 方々に散見されるし

ただ 歌には参った

いちどでも うたの世界に足を踏み入れると

蜘蛛の巣に掛かった 象のごとく出口がなくなる

もう 忘れようとて忘れられぬハナではあったが

おれの おれの使命は とうに果たされていた

ましてや あの時の子が生まれていたなどと

とおく離れた国にいては 知るよしもなかったが

なぜか おれの焦眉の急は果たされていたと知っていた

   *

子どものなまえは もう決めていた ワツシ

産褥のくるしみのあと わたしは不思議なちからに満ちあふれていた

あのときの夢は たぶんほんとうだったのだ

二本ゆびの示していたのは きっと一本目が母で二本目がわたしだった

わたしには わたしひとりででもワツシを育ててゆける自信があった

でも いかにハルが心配しているかと思うと

じっさいは いてもたってもいられなかったのだ

ましてや つぎの焦眉の急がハルを襲わぬという保証もなかった

それは すでに中央が決めていたことだったと母が言った

​あなたと王維が あそこで出会うべくであったことは

​でもそれは いかにもあなたの

自由意思の選択の結果でなければならなかったとも言った

できれば ワツシには将来 牛飼いになってほしかった

けれど母さんは そんなことは親が決めることじゃないのよと言っていた

そして 知っていても ずうっと知らないそぶりをしていた

それでも あの子が生まれた夜 それはそれは見たこともない 

おおきな星が東の空に掛かっていたと言っていた

   *

ともしびの 消えていづくへ 行くやらん 草むらごとに 虫の声する

さびしさに 草のいほりを 出でてみれば 稲穂の押しなみ 秋風ぞ吹く

あわ雪の 中にたちたる みちおほち またその中に あわ雪ぞ降る

うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ くるに似て かへるに似たり おきつ波

あの子が生まれた夜 権現やまのいただきに

それはそれは おおきなほしが出てもした

きつね石の原を抜けながら お爺さんもみたって言うておったし

でも 家に帰りついたら なんと片手に載るほどの可愛い子が

まるで つばくろのごと子じゃとおっしゃって

それでも 長じると むらのあちこち飛び回って

みなの 目咲かしものじゃったに

あんな 年端もゆかぬうちに無うなるとは

あたしゃ ぜったい生きとる思うちょる

あんな子じゃ どうせどこか王子さまの背につかまって

ひとの役に立つしごとを仰せつかまつっちょる

あれは むしのしらせか 

さくらがそろそろと散り初めるころじゃった

寺をたずねると 縁に坐りながら ことんと首をおとしておられた

どうせひるねでもしておじゃると声をかけたが返事がない

ゆるりゆるりとした往生じゃった

手に持った半紙に うたが臨書してあった

後世はなお 今生だにも 願はざる わがふところに さくら来てちる

                  imuruta

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これはぼくの第五詩集<イザーイ>です

 

​詩とは何か 詩とは、敢えて言えば思考の不可能性に対する 果敢な挑戦である 詩は、その第一行目からとある文脈を提示する そして、二行目以降はその展開でありながら、つねにすでに間断なく

思考に挑戦しつづける 状況把握が必要なのか あえて書かなかったことを推理する力が必要なのか、それとも、ただ直観を信じてひたすら読み進む力が必要なのかは、あなた次第だ 何にしても、ここにひとつの求心力を提示したかった 詩は、つねに日常言語を模倣するが、かならずや もって非なる世界を提示する

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