オデット
夏のカランドゥリエは いつも未知先案内人
ぼくは まるで気軽にジュペを捲るように
未知を索めて七月のカランドゥリエの裾を捲る
はたしてそこに 前もって印が付いていたら
それは初診の予約日だったろうか それとも再診の
今年の夏はとりわけ暑いですねときみも
思わせぶりにジュペの裾で風を興しながら
いったい初対面なのか 旧知なのか測りかねている
サンサーンスの白鳥ですねときみ
はい 大抵の頭痛持ちの患者にはこれで充分ですとぼく
無闇に薬は処方したくないので
なるべくセロの音で気分を和らげてもらっている
どこかでお会いしましたかと水を向けると
街の角々に明日からの公演のちらしが貼ってありますからと言う
これこれ いきなり惜しげもなく
足を出しておられるのは ようやく合点が行く
やはりポワントですかとぼく
いえ今日はすこし言いにくいのですがときみ
その瞬間 みょうに打ち解けてしまう笑顔があって
ぼくとて どうしてもみとれてしまう午後がそこにはあった
それは八月だからこそ赦される
不躾な はしたなさにみえて
じつは 八月だからこそ自然に見える
ふかい人間への 真実の方からの誘いだった
きみは年端も行かぬ頃からすでにそれを心得ていて
いつも しんじつはそこにしかないと確信していた
きみが椅子の背にもたれ これみよがしにそこを開くと
みよこれ いまひらく白鳥のほんとうに嘘のような世界
きみは疵の在り処をつぶさに観察しながら
その症状 窮状について細かく解説してくれるし
ぼくは診断書を書きながら 可能なメタファを捜そうとするが
どうしても この嘘を暴ききれない
きみは あらかじめ見せびらかすことで
気配を悟られず 嘘いつわりの無さを装っているが
そして そこにはいつもこころのしんみつさが生まれるものだが
何を処方すればいいのか ぼくは慎みのない事態に戸惑っている
きみは 明日のこけら落としまでになんとかしたそうではあるが
これから何かになろうとして まだ何にもなりきっていない
無垢な疵あとが生々しくそこに露見しているだけで
立場上どうにも 欲しいまま節度を欠く分けにも行かない
それは八月の サンサーンスの流れる些細な午后だった
一羽の白鳥が公演前のほんのひととき
極度の緊張から遁れるために 翼を休めに来ていただけだったのかもしれない
診療室はふたりを閉じ込めながら 永遠のなぞにいつまでも戸惑っていた
imuruta