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​プラタナス

それでは ときに仔狐の手袋と呼ばれたり

あるいは アテナイの小径と呼ばれるこの葉の名を

だれか知っている人はいるでしょうか

新学期のはじまったばかりの教室で

先生がさしだすいちまいの葉

たしかその名を覚えていたはずなのに

なぜか夢の中でのようにぼんやりして その名が思い出せない

そんなことがあるものか ムネモシュネ

あの葉の名が思い出せないなんて

あの木の下でたしかに靴ひも結びなおした覚えがあるし

あれらの木に 当てずっぽうに名前を付けながら歩いたこともあったのに

いまはまだ思い出せない そんなことがあるのか

あれこれと空になった記憶片をたどりつつ

ふと窓ごしに渡り廊下に目をやると

教頭先生に連れられて だれか女の子がひとり歩いてくる

おかっぱ頭に まだ短いワンピース

何度もなんどもうしろを振り返るのは

あとに何か 心に残る世界を置いてきたからか

​仔象がひょこひょこときみのあとを歩いているようにもみえた

プリニウス プルタルコス プランセティア

博物誌 自然派 自在律

その時 山から降りてきた一陣の風が

女の子の髪をはるか後世へとさらってすぎる

プゥペ プロレゴメナ プロタゴラス

人形 第一義 物指し

どこを見ているのですかという先生の声で

ふと我に返ったとき

プラタナス という答えが自然と口をついて出た

 

ガラガラッという音とともに 

前扉をあけて 教頭先生がきみを連れて入ってきた時

折からの風が 桜の花びらを猛然と室内に持ち込んだ

それは 今にも散り急ぐ花びらが

きみの胸の合わせに 歌のえにしを封じに来たような

いったい 風でなければ誰にきみを見つけることなどできただろう

枝を離れて 歌のように舞い散る花びらでなければ

教頭先生がきみを紹介する声にまじって

どこからか 背をまるめて象の弾く

バッハの孤独なチェロの響きがしていた

それは 駒落ちが多すぎて

どうにも思い出しようがなかったのかもしれない

夢の外がわから夢をみているような

ここにいて 刻々といま見ているのに

とうの昔からここを知っていたような

その瞬間 きみもぼくに気付いたのか

恥ずかしそうにぼくの方を見る

プラーナ プラトーン プトレマイオス

息 水の駅 天球儀

それは駒合わせが 刻々とつながり始めたような

プラーナ プロミット プラエスト

息 約束 すぐそば

ねえ指合わせしよう 指合わせ

ねえ指ずもうしよう 指ずもう

という声で とつぜん目が覚めた

音楽室の方からは やはりバッハが流れていた

先生が空いている席にきみを座らせたとき

ちょうど まうしろにぼくが座っていた

                imuruta

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