top of page
中央アジアの高原にて

むかしむかし

それは指算でないと数えられないほど遠いむかし

ながいながい

それは記憶局から捜索願が出るほど長い ながい旅にぼくらはでていた

きみは足首に金色の鈴をつけた一頭の羊で

ぼくはというと 純毛の襟巻きをしたもう一頭の羊だった

あの頃 きみの名はコロンビーヌで ぼくの名はコロンバンだった

それは いま思い返しても気の遠くなるほど遙かな昔のことだった

あの頃 ぼくらは礼儀正しく一歩あるくたびに一度礼をし 

字義通り二人きりで 創世記の中央アジアの高原をさ迷い歩いた

だが草は 方々に生えていたので

ぼくらの荷はともに少しく ひづめを履いた足が丈夫であればそれで良かった

あと ぼくにはまだ書かれていない一冊の聖書と

きみには おやつ替わりの広辞苑がもう一冊あればそれで良かった

ときに道なき道は草原を横切ると とつぜん青空につながり

ぼくらはさらにきそって空の道にさ迷い出たり 虹のかけらを頬張っては遊んだ

大気はまだ何にも汚されず ぼくらの青い虹彩のように澄んで

ぼくらがいちにち歩けば一日分の ふつか歩けば二日分の

文字通りあどけない詩や歌が 次からつぎへと生まれた

ああ そのほかに ぼくらにどんな野望があっただろう

さてもその頃 高原のみずうみは限りなく透明で 底にしずむ小石までくっきり見えたが

きみがひとくち 鏡のような水に鼻つけると

いま生まれたばかりの水の輪は

何処までもどこまでも 向こう岸を越えてまでまだ延々と拡がって行ったものだ

どこもここも輪の果てまで 中央アジアの高原は青く

そこここにぼくらに似た羊雲があらわれては消え 消えてはあらわれた

ときにきみのうしろを歩くとき ぼくはところどころ穴の空いたきみの毛編みのパンツに涙したものだ

もう少し ほんのもう少しぼくの稼ぎがあったならと

きみはきみで そんなことにはいっこうに頓着なく

たまにうしろを振り返ると二人きりをいいことに あたりかまわずメエッーとおおきな声で鳴いた

而して ぼくらはそんな日にはこっそりと

まあたらしい聖書には何を書き込んだだろう

ぼくら そんな名もない一日を終えれば

何をどんな どんなかくもあてどない日をここにしるした

記憶局の探索官がすでに数名派遣されたことは

風向きで たいていすぐに分かってはいたが

まさか コロンバンの書く一字一句が

後世にどんな影響をあたえるかまでは その考えも及ばなかった

言葉はいちいち変化に富むが

変わらぬものは このいたわりつづける心の旅

ああきみ きみの穴すこしかがろうか

ぼく ぼくの字どこか楔形文字にも見えて

明日もきっとはやい しばし毛皮のなかをあたためあえば

ぼくらたがいに 夢のなかでもまだいとおし

                 imuruta

bottom of page