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​悲鳴

アルファ ベータ ガンマ デルタ エプスィーロン

ゼータ エータ テータ イオータ カッパ ラムダ ミュー

 

ホー テオス フォース エスティン

ホー テオス プネウマ エスティン

ホー テオス アガペー エスティン

ホー テオス ヘイス エスティン

 

暑い夜だった

日はとっぷりと暮れ 育ちはじめた青い稲の匂いがあたり一面していた

月は薄い雲に隠され

ぼくは塾の帰りを急いでいた

ぼくはその夜 この春から習い始めた 

まるで水中を動き回るボウフラのような文字を

覚えたてのひとの名を

アダム アブラアム アンティオケーア

イェースース イサァク エンマヌーエールと唱えながら

ちからいっぱいペダルを漕いでいた

それはちょうど学校裏のプールのそばの道を

自転車で駆け抜けようとしていた時だった

暗くてよく見えなかったが

プールの縁に誰か人影が見えたように思った

こんな時間に誰が

あわててブレーキを握ると

リムは真綿で咽を絞められるようにして止まった

ぼくは買ってもらったばかりの自転車を道ばたの草むらに倒すと 

音をたてないようにそおっと土手を昇り 水理小屋の陰から

先ほど人影の見えたあたりを覗いて見たが

果たして 誰の影も見あたらない

不審に思って プールの中ほどを見たとき

まるで 誰かが泳いでいるかのように波が立っていた

でも見つめていても いっこうに息継ぎするようすがない

波は向こうでターンすると こっちの方へ戻り出すが

どう言えばいいのか

 

サウール ザカリアース サタナース

ケルビーム ゲトセーマニー ゴルゴター

それは実体のない様態だけが泳いでいるような

ありのままが その手順だけ見せているような

隠れた事実が 無言のまま情状に訴えかけてくるような

それは 謂わば無声映画のはじまりに似ていた

そうこう思う内にも波はこちらへとこちらへと

次第しだいに押し寄せてくるが

ふとまばたきをした瞬間 波間の向こうに

人のものではない大きな尾びれを見たようにも思えた

その刹那くびすじに冷たい息がかかるのを覚え 反射的に振り向くと

果たせるかな まるでいま水から上がったばかりのきみがいた

 

スィーナー スュメオーン  カブリエール

ダウィード ダマスコス テッサロニーケー

雲間から いま出たばかりの月の光りのせいか 

なぜか目が碧いろをしていた

髪からは幾粒もいくつぶも雫がしたたり落ち

何かこらえ切れなさそうに 肩で息をするたびに

それは悲鳴を上げながら あらぬ足もとへと落ちていった

 

待っていたのよ ときみは言った

寂しくてさびしくて 死にそうだったのは母さんもわたしも同じ

でもわたしには図書室があったし

夢を読んでいるあいだは

いろいろな煩わしいことも忘れられたし

それに わたしにはあなたがいるわ

でも本のなかにいるって ときどき耐えられなくなるの

読みに来てくれるひとを唯ただ待っているのもローレライみたいで

ほら わたしにはちゃんとこのとおり体もあるし

まだちいさいけど胸もあるわ 

そう あなたが帰ったあと

音楽室でバッハやヘンデルを練習してたのはわたしよ

そうして あなたが迷わないように

ひとつひとつに目印を埋め込んでおいたの

違う理由で目印を追ってくるものもいるけど

いまは忘れていいのよ

あなたはもう言葉に酔えばいいの

だれでも思春期の誘いを拒めるものはいないわ

だってそれは じぶんの中から湧いてくるちからそのものだし

たとえそこに 実体が見えなくても

それは いのちの真っ当なありようなのよ

本を読んでいて いつも思うのは

主人公に寄り添えばよりそうほど 自分は見失っても

逆に 生きている実感は感じられる

そう たとえわたしたちが実体のない感受性だけの仮の姿だとしても

それは 生きているあかしそのものなのよ

もう二度とあなたを離さないわ

たとえそこが 闇の支配する漆黒の海の底だとしても

月の光りからさえ身を隠さねばならない夜の道だとしても

いちどでも愛を交わしたもの同志が離れることはないのよ

なぜなら神は すべての様態の根本に宿る愛だから

愛が過ぎることはない ひとがそこを過ぎるのよ

 

ノーエ バルトロマイヨス ハルマゲドーン

ベートレエム マッタイヨス マリアム

 

ぼくはあらかじめ失われた言葉を見つけようとしていたのかもしれない

あるいは すべての様態を生む実体に掛けていたのかもしれない

きみの胸はいまにも高まり 濡れた髪からはまだ雫がしたたり

こうして見れば見るほどに なおさら遠のく事の遅延に戸惑っていた

 

ミカエール イァコーブ イゥダース

イオアンネース イオーヴ ロート

 

そうこうするうちにも きみはますます近寄り  

ぼくは知らないうちにだんだんとプール際へと後ずさりしていた

それは きみの息がぼくの顔にかかり

いましもきみが濡れた両手でぼくを抱こうとした時だった

ぼくはきみもろとも 悲鳴を上げながら

二度ともどれない足下の水面へと落ちていった

                 imuruta

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