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​白狐

さわさわっと音がし さわさわっと揺れた

さわさわっと はるか向こうでしたが 

いまはさわさわっと 後ろに回った

気配で敵意のないのは分かるが

さわさわっ さわさわっと揺れやむことがない

 

さわさわっと音がし さわさわっと揺れた

みぎにかぶりを振ったとき 

素早くひだりに回る気配があった

慌ててひだりを見返したとき

そこはただ 薄の穂が揺れているばかりだった

 

しばらくすると またさわさわっと

こんどは山竜胆が揺れる

ひだりにかぶりを振ったとたん

みぎに跳ぶものがあったが 目にも止まらず

いまは吾亦紅の影に しずかに潜んでいる 

 

いずれ秋の日はみじかく

薄が原を夕日があかね色に染めるころは

つるべ落としに日もしずみ

もう里に下りるころだと

おりしも昇ってきた十三夜の月が告げる

   *

あくる日は 朝はやくから井戸端でさわぐ声がして

あわてて手元の手拭いを持ってかどに出てみると

村びとたちがなにか遣り合っている

どうやらゆうべのうちに

富じいの家のにわとりがやられたと云う

なにがなんでも きょうは庄屋さまに訴えるらしいが 

むすこの進作はあけがた頃まで

口笛を吹くほどに 何もなかったと言っている

いずれ きつねのしわざじゃろうてと 

三々五々引き返しながら だれもが口々にいう

どうせ そんなことだろうと

手拭いで眠い目をこすったときだ 

見るとみょうに鳥の羽根がまとわってくるので

まさかと思いつつきびすを返すと

だまって 家にもどった

 

ところで庄屋さまのむすめ 

やけに色がしろく

近在に比べるものもない 器量よしだったが 

ひとりむすめゆえ 

はて だれも婿に入るものがない

しかして 誰かに白羽の矢が立つたびに

村中のうわさとなるが 

むすめもこんな 里の知れた男どもでは 

なんとも首をたてに振らず 

ついついゆく年を過ぎてしもうた

 

これは こおろぎに化けて

庄屋さまの庭にひそんだおとこから聞いたはなしだが

じつは ないしょの話だ

家人が寝静まるのをまって 灯明の消えたむすめの部屋に

しばし 虫の音を送ってみたという 

 

そうすると 空くか空かぬか

耳のすきまほどの障子があくと 

みぎにひだりに三角の耳がみえ 

耳はあっというまに庭に躍り出ると 

庄屋さまの塀を跳び越えて 

一目散に闇に消えたというのだ

   *

翌夕 また高の原で薄の穂を吹いていると

さわさわっと音がして さわさわっと揺れた 

さっきまで みぎの目尻のほうで揺れていたかと思えば 

もう ひだりに今度は音もなく跳んだとみえる 

目の錯覚に見せるのがつねで 

 

そのじつ 目の前の草むらにいる 

白い尾のつっと隠れたところへ 思わず跳んだ 

じつにその時だ 

鼻が白い毛のあいたところに 

とつぜん入りそうになって 間一髪そこで止まった 

 

ぷんと毛ものの匂いがした

いつ間に 腹をこちらに向け 

その見事な尾をしまい込んだ 

まさに そのときだった

こちらの毛ものが目覚めたのは

 

耳を咬み あごを咬み

肩を咬み 首を咬み

組み伏せたと思ったしゅんかん

うしろ足で 逆とんぼりに投げ出された

 

もう一度跳んで返すと

頭を咬み こめかみを咬み 

頬を咬み 鼻を咬みしたところで 

むこうの術中に落ちていた 

空に待宵の月が昇っていた

   *

 

もう反撃せぬと思って

からだを離したしゅんかん

首すじをきつく咬まれた 

ふと我にもどったが

咬み返しにかかったとき 

下半身をよろこびが走った

白い尾を追いながら

月が西にかたぶくまで至福のときを過ごしたが 

夜明けまえには家にもどった 

寝屋に入るまえ手拭いで汗を拭くと

はたしてその夜は あかしのような血がにじんでいた

                imuruta

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