取調室
今 何て言ったんだ
今 何て言ったんだって聞いているんだ
二度目はたいがい凄んでくるものだが
二度目は逆にていねいだった
あなたたちが人間なら
あたしは人間ではない
あたしが人間なら
あなたたちは人間ではない と言ったのよ
何を的違いなことを言ってるんだ
この小便くさい小娘が
水もののくせして 聞いたふうな口をたたくんじゃない
そうよ その小便の匂いをたどってここまでやって来たくせに
気兼ねしてるのは そちらの方じゃないの
正式な逮捕状がないくせに
事情聴取だけで いったい
いつまで引っ張っておけるというの
*
じゃあ 話をもとに戻そう
こちらも仕事でねえ
あの耳梨先生の死因が どうにも解せないんだ
君も知ってのとおり 彼は教育熱心だったし
じつにいい先生だった
ところがあの水死事件が どうも腑に落ちない
彼は若いころ国体に出るほどすぐれた泳者だった
そんな彼が しらふで農業用水に落ちたところで溺れ死ぬかね
念のためアルコール検査もしてみたが 白だった
どこにも外傷はなかった
ただ肺のすみずみにまでゆきわたるほど
水を吸い込んでいただけなんだ
言ってみれば窒息死なんだが
まるで争ったあとがない
人は自分の意志で死のうと思ったって
水の中で苦しければ 君は違うかもしれないが
にんげんなら誰だって 水面を求めて必死で上がってくる
なのにだな 空気の代わりに水を肺の奥にまで吸い込んで
なおかつ笑ってたのさ
河童かね
でもこのあたりは文明開化以前から そんな伝説はない地割なんだ
水ものといえば天神か竜神か あとは人魚だろ
いつまで黙っている気なんだ
何なら身ぐるみ剥いで検査して見ようか
*
そうなんだ
みんな 何だかだ言いながら目当てはこれなんだ
法を楯にとってじぶんを正当化しながら さいごは言い寄ってくる
金は前金で払ってあるからと言って
年端もいかないものに どうどうとのし掛かってくる
あらかじめ縄を準備してくるものもいるし
じつに巧みに 言葉をさぐりながら
そのことばだけで快感を得ているものもいる
わざと短いスカートを穿かせて 踊らせる
水着をもってきて油を塗る
聖職者の振りして 懺悔を強要してくるもの
児童相談所から派遣されたと言いつつ
調書にあることないこと書きながら笑っているやつ
置屋だと何でもゆるされてしまう
誰が売ったのか 誰が買ったのか
みな親切そうな顔して話しかけてくるが
言葉尻がにごっている
穏便にすますからと言っておいて
汗まみれになるにつれて
あるまじきことをする
相手が未成年だと分かっていても
いったん人じゃないと決め込むと
狂気に火が付く
だんだんに魔が差してくるにつれて
人間が人間でなくなる
憑きものが付いているのはどちらなのか 欲望という名の
神がかりにでもならなければ
どうしてこんな非道い仕打ちに耐えられるだろう
誰でももの語りのなかに何十年もいれば たとえ人でも神になる
ましてや竜や王子や飛天や姫が
天照や伊邪那岐や木花咲邪や木花知流が
龍はもう千数百年もまえ壁画に描かれていたし
かの国の王子は白い象に乗っていた
天照の岩戸のまえで踊ったのは天宇受賣だったか
イエースースは驢馬に乗って入場を果たしていたし
ここで本のなかで 読まれるたびに演じられる秘儀は
蔑まれることと尊ばれると 虐げられることと慕われることは
いっけん相反しているにみえて 鏡のなせる至高のわざとも読める
わたしは何ゆえここにいる わたしをわたしたらしめているものは何か
男を受け入れるとは 雄々しさとは
女を受け入れるとは 女々しさとは
たとえ人魚で 何が悪い
卑しい生まれと やましい素性と ゆゆしい化けの皮と
相容れない出自に戸惑っているのは 何もひとも同じだ
*
離せ 手を離せ 離せ 声を離せ
離せ 口を離せ 離せ 唇を離せ
おんなの度量をいいことに
なぶるな いたぶるな さいなむな
なじるな 汚すな 咎めるな
これ以上えぐるな 辱めるな 慰みものにするな
自由を奪っておきながら こづき回すな
言葉のかぎり もてあそんでおきながら
ずるがしこく立ち回るな
それは これ以上口を割らんのだったら
悪いが少々痛い目に合ってもらおうかという署長の声を引き金に
左右にいた取調官が立ちあがった時だった
それは言葉と 言葉の表す世界が寸分たがわず見えた瞬間
腹から背中から 得も言われぬちがらが目を覚ました
ちからは音もなく背筋を這い登ると
碧い目をらんらんと輝かせて取調室の天井を蔽った
な何だ やはり人間じゃなかったのかという声が部屋中に響き渡ったが
悲しいかな語尾はもう 誰も人間の耳には届かなかった
imuruta