観音
なんでまた こんなお婆はんの
粋狂なことで おうちら若いよって
若いモデルさんの知り合いも たんと居はるやろに
奇特な方どすなぁ
そらもう もったいないことあらしません
年が年どすよって
なんの仏はんのちょっとでも回向なるんやったら
逆に嬉しいことどす
けど なんやしものほうすぅすぅして
ちと けったいなようですけど
それにこんな羽ごろもまで用意してもろて
これかて安いもんやおへんやろ
たんと工賃はずんでもらいなはれ
どうせ檀家はんからぎょうさん寄進してもろたはるんやし
*
急に工務店から工期を早めたいと言ってきて
もうずいぶん待たされたといえば待たされてるし
一にも二もなく掛かってもらったのだが
工房の建て替えが半月やひと月ですむわけもなく
こんどの観音さんは ちょっと大きいし
施主さんに無理を言って
寺の僧坊の一角を借りて 夏の間しごとさしてもろてます
その上 きさくな大黒さんまでお借りしてモデルはんしてもろて
*
はじめは恥ずかしいよって
お母さはんそのなことぜったいやめてて言うてた娘が
なんやちょっと覗きにきてからは
こんどは先生の前で毛まで出して
この方がもっと恥ずかしい言い出すなり
なんやワックスまで買うてきて 恥ずかしい恥ずかしい言いもって
腋のしたやら しもの方まで処理してくれたおかげで
なんぼでも 中学入ったばかりの娘のようになってしもて
ご院さんには鶴の恩返しやさかい
ぜったい覗いたらあかんときつう言うたりますけど
なんや中学時分に美術室で先生のモデルになった時のこと思い出しますねん
あのときも こんな半裸のすがたで
上半身だけ裸で
つばのひろい帽子かぶって椅子に座ってるだけやったけど
*
ひとえ襞を削り出し ふたえ襞を削り出し
三重を四重に 四重を五重に
ふくいくとした木の香があたりに立ち込め
しだいに浮き出すやわらかい胸の線
ひとえ風に流し ふたえ風に流し
鑿のあとを出しては消し 出しては消し
いちど見ては にど見 二度見ては三度見
また削り出しに専念する
おおかた塑像のあいだはスケッチに頼れるし
大黒さんにも休んでもらったが
仕上げが近くなってくると微妙な肌の肌理が欲しくなって
また無理をお願いした
*
あたしら こんな上品な体付きしてまへんのに
先生 矯正しはるの上手どすなあ
ちょっと休んでるあいだになんやらちょうっと
しもの方また黒うなってきて 娘にワックスしてもろて来ました言いながら
大黒さん なんや上機嫌で
裸のままで お茶出してくれるやら
茶菓子の包みまで解いてくれる仕様で
もうすっかり家族の一員になったか ご院さんになった様子で
仕事もよくはかどってきたころだった
まさか夢枕に立つという話は先輩から聞いていたが
*
それは あけ方まどろんでいる時だった
眉間のあたりに冷たいものがぽたっぽたっと落ちてくる
あわてて目を開けると枕もとに観音が立っている
雫はその髪から 衣からしたたって来るのだが
なぜだか とっさになみだだと分かる
半眼を下から見上げているので どこを見ているのか分からないが
なにか言いしれぬ気配がただよい しばらく見とれていると
だんだんに これは大黒さんのからだではないと分かる
たしかに観音を彫りながら モデルそのままではなく
言ってみればおんなとして完熟する一歩手前の体付きを目指していたが
いまここに立つ観音は どこかまだ少女の体付きをしている
それに いつかしらどこかで知り合っていたとも感じる
*
芸とは 芸の道とは 仏とは 仏の道とは
ぼくらは ぼくら仏師は芸術家といっても画家や音楽家ではない
彫刻家の一員ではあるが どちらかと言えば職人に近い
年経て修行の上がった仏師の夢枕に如来が立つとは聞いているが
それは仏師のひと彫りひと彫りが
仏の摂理の一瞬いっしゅんに叶ったあかつきのことであって
言ってみれば彫りだす前から木一体には木一体の仏がいて
仏師などは それがおのずからすがたを現わす手伝いをするだけだと教わった
尻がひと成りでないのは ひと成りなら仏とおのずから成るが
ふた成りあるのは 人がふた成り目に入定するためだと
如来が如来のままに入定していては 果たしてそのちから無に同じ
人が来りて隣に坐すから 如来の力おのずから生ずと
尻を彫り出すなら 片や如来と片や凡夫と
居擦れ仏と いずれおんなとみまごうほどに上手なれと
*
まあまあ観音はん夢枕に立ちはったて
ご院さんから聞きましたで
なんで先わたし言うてくれはらへん 好かん人やわ
まあまあ いずれにしても そらよろしおす
こら ちょっと早いけど赤飯炊かなあきまへんな
もう完成も近いよって 観音はん祝いに来てくれはったんや
まあ なんていう目出度いこと
それがそうと あんなに完成するまで見たらあかん言うといたのに
ご院さんとうとうしびれ切らして ゆうべ先生が帰りはったあと
幕合いから覗かはったらしおす
それからゆうべ ひと悶着ありましてん
ええ年した爺さんが片足棺桶に突っ込んどるくせに
まさかあんな裸のモデルまでしてたんちゃうやろなて えらい剣幕で
終いはあんじょう治めましたけど こっちも答弁に苦労しましたわ
*
あんのじょう 翌朝もきみは枕に立った
分けを聞くと 済まないことがあるという
ひと世むかしに わたしを殺めたというのだ
だから何あって菩薩に戻れぬと
菩薩が菩薩に戻れぬなどと
われら凡夫にはついぞ分からぬ世界だが
人魚に人魚の理があれば 人に人の理があると
人に人の理があれば 菩薩に菩薩の理があると
菩薩に菩薩の理があれば 如来に如来のそれがあると
いずれふた成りふた成りのほどけぬ輪なれば
巡りめぐって如来の輪が人魚の輪に同じう繋がる
ここで解いておかねば心がのこると
そう言い出すが速いか きみが腰ひもを解きに掛かるが速いか
だが たしかに羽衣を透かして見えていたはずなのに
ほどけ掛かった衣の下には 少女のような現せ身がなかった
*
あの もの凄言いにくおますけど
いつもきさくな大黒さんが なんや今朝からもじもじして
みょうに神妙なご様子
あとは掃除して 明日はご院さんに魂入れてもらう予定だけなのに
じつはきょうはご院さん 本部のご用事で
もう夜遅うまで帰って来はらへん
娘も大学のゼミの合宿で おらへんし言うて
ひとつ折り入ってねがいごと聞いておくれやすと来た
じつは ながいことモデルに立ててもうて
こうしておとこ衆さんに素肌見せてるうちに
なんやからだのしんから熱うなってしもて
先生とも今日明日でもうお別れやよって
先生もおんなとしてみて こうして立ててくれはったことやし
恥を覚悟でお願いがあるんです
どうかこんな婆さんの一生いちどのわがまま聞いてやってというなり
きょうはもうモデルでもあらへんのに
椅子に浅く腰掛けると あらかじめ示してあったそこを拡げて見せた
それがあろうことか 大学時代の恩師の有名な作とおなじポーズで
まさか耳梨先生のモデルしはったことあったんですかと聞いてしまった
なんでそんなこと知ったはりますねんいうて顔見合わせるのと
いっしゅん真顔になって あぁ恥ずかし言うて
とつぜん大黒さんが十代の頃の少女の顔に戻ったのと
どう言えばいいのか おんなとは
すべてが寸分たがわずおなじものの謂いなのか
僧坊はあらぬ嫌疑に立腹した振りをしながら
じつは初めて事の実相に気付いたおとこに
底知れぬ 慈愛の眼差しを注いでいた
imuruta